大判例

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東京地方裁判所 昭和32年(行)34号 判決

原告

大賀秀夫

右訴訟代理人弁護士

西山三郎

原告

株式会社ひばりや

右代表者代表取締役

草皆明子

ほか五名

大賀を除く右六名訴訟代理人弁護士

佐々木正泰

被告

労働保険審査会

右代表者会長

上山顕

右指定代理人

大風重夫

ほか二名

主文

被告が、立川職業安定所長のなした原告らに対する別表記載の失業保険金の返還命令についての審査請求を棄却した東京都失業保険審査官の決定に対する原告らの再審査請求に基づいて、昭和三六年二月一〇日なした裁決を取り消す。立川職業安定所長が昭和三二年一二月二五日原告らに対してなした、原告大賀秀夫、同三宅康之、同石井至、同塩田マサ子、同粕谷タキ及び同粕谷静司が支給を受けた別表記載の失業保険金を当該原告と原告株式会社ひばりやが連帯して返還すべきことを命ずる旨の処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

原告ら訴訟代理人はいずれも主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二  請求の原因

一  原告株式会社ひばりや(以下、原告会社という。)はパン類の製造販売を業とする株式会社であり、その余の原告ら(以下、原告大賀外五名という。)はいずれもその従業員(原告会社の従業員は、原告大賀外五名を含め一五名である。)で、昭和三〇年九月一日以降失業保険者資格を取得していた。

二  原告会社は、昭和三一年七月二六日(当時原告会社は国立食糧工業株式会社と称していた。)火災(以下、本件火災という。)により、その製造工場全部を焼失し、事業閉鎖を余儀なくされたため、全従業員に対し、同月三〇日限り、雇傭契約を解約することを申入れ、全従業員の承諾を得たので(以下、本件合意契約という。)、立川職業安定所長(以下、立川職安所長という。)に対し、失業保険被保険者資格喪失届(以下、資格喪失届)という。)及び失業保険被保険者離職証明書(以下、離職証明書という。)を提出した。そして、原告大賀外五名は、同所長から失業保険資格者証の交付を受けるなど所定の手続を経て、別表記載の給付日数に相当する同表記載の金額の失業保険金(以下、本件失業保険金という。)の支給を受けた。

三  しかるところ、立川職安所長は、原告大賀外五名は、同所長に対し原告会社を退職していないのに、退職して失業したように装つて同所長を欺罔し、同所長から失業保険受給資格者証の交付を受けるなど所定の手続を経て、本件失業保険金の支給を受けたものであり、また、その支給は、原告大賀外五名が退職したとする原告会社の虚偽の届出及び証明によるものであるとの理由で、昭和三二年一二月二五日、失業保険法第二三条の二第一項により、原告らに対し、受給者である原告大賀外五名と事業主である原告会社とがそれぞれ連帯して、本件失業保険金を返還すべきことを命ずる旨の処分(以下、本件処分という。)をした。原告らは、これを不服として、東京都失業保険審査官に審査を請求したが、昭和三三年七月三日請求棄却の決定を受けたので、更にこの決定を不服として、被告に再審査を請求したところ、昭和三六年二月一〇日請求棄却の裁決(以下本件裁決という。)を受けた。

四  しかしながら、前記二のとおり、原告大賀外五名は、本件合意解約により、昭和三一年七月三〇日限り退職し、失業保険受給資格を取得したものである。従つて、原告大賀外五名は詐欺行為によつて本件失業保険金の支給を受けたものでなく、また、原告会社は虚偽の資格喪失届及び離職証明書を提出したものでないから、本件失業保険金の返還を命じた本件処分は違法であり、これに対する審査請求を棄却した東京都失業保険審査官の決定を維持した本件裁決も違法である。よつて、本件処分及び本件裁決の取消を求める。<以下省略>

理由

一  原告大賀外五名が、パン類の製造販売を業とする原告会社の従業員で、昭和三〇年九月一日以降、失業保険被保険者資格を得ていたこと、原告会社が、本件火災により、そのパン製造工場を失つたところ、原告大賀外五名を含む一五名の従業員が昭和三一年七月三〇日限り、原告会社を退職し失業したとして、立川職安所長に資格喪失届及び離職証明書を提出し、原告大賀外五名が、立川職安所長から失業保険受給資格者証の交付を受けるなど所定の手続を経て、本件失業保険金の支給を受けたこと、原告らが請求原因三記載の理由によつて、本件処分及び本件裁決を受けたことは、当事者間に争いがない。

二  <証拠―省略>を総合すると、原告会社は、昭和三一年、七月二六日午前九時頃、従業員の過失によるボイラーの不始末が原因となつて、その製造工場を焼失したところ(本件火災)、代表取締役草皆明子は、夫の勝蔵が病弱であり、また、当時多額の負債があつて、火災保険金約二〇〇万円をその弁済に充てなければならない事情にあつたので、直ちに工場を再建し、営業を再開する見込がなく、従業員との雇傭関係を継続することは困難であると判断し、同日原告大賀外五名を含む一五名の全従業員に対し、雇傭契約を解約することを申入れ、全従業員はこれを承諾し(本件合意解約)、原告会社と原告大賀外五名との雇傭関係は昭和三一年七月三〇日限り終了したことが認められる。右認定に反する乙第八号証の記載は採用しない。

三  被告は、本件合意解約の事実を否定し、種々の事実を掲げて、原告会社と原告大賀外五名との雇傭関係は、本件火災後もなお存続していると主張するので、以下に検討する。

1  (証拠―省略)を総合すると、本件火災後の原告会社の事業継続の状況として、次のような事実が認められる。

原告会社は、販売部門の営業を継続するため、本件火災当日、錦製パンとの間で、原告会社が、同社から、一般卸値段一個金八円(小売値段金一〇円)のパン製品を金六円八〇銭で仕入れ、そのため、原告会社の製パン工を同社に派遣して、製パンに従事させる、同社が、原告会社から派遣される製パン工に対して賃金は支給しないが、食事を提供するとの契約を締結し、翌二七日から同年九月末頃まで、毎日、原告会社の従業員を交代で二名ほど同社に派遣して、その製パン業務に当たらせ、同社からパン製品を仕入れ、更にこれを加工、包装などして、従来の得意先に販売した。なお、原告会社は、従業員を使用して、本件火災後約一〇日間一日一、二時間、焼跡整理を行つた。そして、原告会社は、同年、一一月頃、整造部門の営業を一部再開し、昭和三二年二月頃、営業を全面再開した。

2  本件火災後の原告大賀外五名の原告会社に対する労務提供の状況は、次のとおりである。

(1)  (原告大賀について)<証拠―省略>によると、原告大賀は、原告会社の販路拡張の業務を担当していたが、本件火災当日、錦製パンと前記のようなパン製品の仕入契約の締結について交渉し、その後約三箇月の間に、同原告の保証にかかる原告会社の借受債務の整理に奔走した外は、従業員の失業保険金受給に必要な書類の作成、提出に当たり、原告会社の振出手形の期日延期の交渉を一回行つたことがあり、その間、原告会社から食事の提供を受け、実費たる定期乗車券代その他の交通費として昭和三一年八月一一日に金三〇〇円、同月一七日及び同年九月一七日に各金八〇〇円、同年一〇月二日に金一六五円同月二五日に金一二〇円の支給を受けたことが認められ、右認定に反する証人<省略>の証言は採用しない。なお、原告大賀が原告会社の焼跡整理を行つたことの事実を認めるに足りる証拠はない。

(2)  (原告石井について)<証拠―省略>によると、原告石井は、原告会社の寮に寄宿しながら、会社の配達、出荷、会計、その他の販売関係事務を担当していたが、本件火災後、一〇数日間は寮に起居していたが(その間、焼跡整理その他原告会社のため労務を提供したことはない。)、自分の将来のことを相談するため、帰省した。昭和三一年一二月頃再び上京して約一箇月にわたり、一日に一、二時間ずつ、原告会社の帳簿の整理を行つたことが認められ、右認定に反する<省略>は採用しない。

(3)  (原告粕谷静司について)<証拠―省略>によると、原告粕谷静司は、原告会社に製パン工として勤務していたが、本件火災後約一週間原告会社の焼跡整理を行つたり、原告会社から、他の従業員と交代で、錦製パンへ派遣されたりし、その間原告会社から食事の提供を受けた(なお、同原告は、昭和三一年一一月頃、原告会社に再雇傭された。)ことが認められ、右認定に反する<省略>は採用しない。

(4)  (原告三宅について)<証拠―省略>によると、原告三宅は、原告会社に製パン工として勤務し寮に宿泊していたが、本件火災後は一週間ないし一〇日間原告会社の焼跡整理を行い、一日だけ原告会社から錦製パンへ派遣されたことがあつたが、昭和三一年八月一五日頃寮を去るまで、原告会社から食事の提供を受けたことが認められ、右認定に反する<省略>は採用しない。

(5)  (原告塩田について)<証拠―省略>によると、原告塩田は原告会社に雑役として勤務していたが、本件火災後、一週間ないし一〇日間原告会社の焼跡整理を行つたり、原告会社代表者方の家事を手伝つたりし、その間原告会社から昼食の提供を受けた。その後は失業保険金の受給に出かけた帰途、時折、桐朋高校の原告会社の出店に立ち寄り原告会社代表者の家人が交替で行つていたパンの販売を手伝つた(なお、同原告は昭和三二年二月頃原告会社に再雇傭された。)ことが認められる。

(6)  (原告粕谷タキについて)<証拠―省略>によると、原告粕谷タキは、原告会社に雑役として勤務していたが、本件火災後、約一〇日間原告会社の焼跡整理を行い、その後、就職先を探しながら、一一月頃まで、毎月四日間ほど原告会社の販売事務を手伝い、その際原告会社から昼食の提供を受けた(なお、同原告は昭和三一年一二月頃原告会社に再雇傭された。)ことが認められ、右認定に反する<証拠―省略>は採用しない。

3  しかしながら、<証拠―省略>を総合すると、以上認定のように、本件火災後も、原告会社が販売部門の営業を継続し、原告大賀外五名が原告会社に対し労務を提供するにいたつた動機、経緯として、次のような事実が認められる。すなわち、本件火災により工場を焼失した原告会社は、前記のような事情から、営業を再開する見込がないと判断し、即日原告大賀外五名を含む全従業員に対し、雇傭契約の解約を申入れたところ、全従業員は、これを承諾したが、前記のように、本件火災が従業員の過失によるものであつたので、原告会社に対する情誼と責任感から、就職先を探すかたわら、好意的に、焼跡整理をはじめ、原告会社の再建に助力することを申合わせ、原告大賀が全従業員を代表して、原告会社にその旨を申入れた。罹災見舞にきた同業者及び得意先から罹災の見舞と再建の激励を受けていた原告会社は、従業員からこのような申入れを受けたので、同業者からパン製品の融通を受け、これを従来の得意先に販売することにより、販売部門の営業だけは、小規模ながら、継続することとし、直ちに、錦製パンとの間にパン製品の仕入れ契約を締結し、従業員から労務の提供を受けて、販売業を継続すると共に、焼跡整理を行つた(しかし、当時、原告会社が既に製造部門の営業の再開を図つていたと認められる証拠はない。)。そして、原告会社は、従業員の好意的な助力に報いると共に、従業員らに就職先を探す便宜を与えるため、従業員らに食事を提供し又は従業員らを焼残つた寮に起居させた。原告大賀外五名は原告会社に対する好意的な助力として、原告会社のため焼跡整理を行い、借受債務を処理し、帳簿を整理し、錦製パンに派遣されて製パンに従事し又は販売事業を手伝うなどして労務を提供し、そして、原告会社から食事の提供若しくは交通費の支給を受け又は原告会社の寮に起居した。また、<証拠―省略>によると、原告会社は、本件解雇後、原告大賀外五名を含む全従業員に対し、五月ないし七月分の未払賃料をすべて手形で清算したことが認められる(右認定に反する<省略>の記載は採用しない。

ところで、原告会社が原告大賀外五名に食事を提供し又は同人らを焼残りの寮に起居させたのは、右に認定したとおり、その好意的助力に報いると共に、就職先を探す便宜を与えることにあつたのであるから、このような原告会社の原告大賀の外五名に対する利益の提供をもつて、同人らの労務に対する対価と解することはできない。しかして、原告大賀外五名が労務の対価として、賃金その他の報酬を受け、又は受けることを約したと認めるに足りる証拠はない。

以上認定のような、本件火災後も、原告会社が販売部門の営業を継続し、原告大賀外五名が原告会社に対し労務を提供するにいたつた動機、経緯、右労務の内容その他の実態及び未払賃料の清算に徴するとき、前記原告会社の営業継続原告大賀外五名の労務提供及び原告会社の食事又は寮の提供の事実は、原告会社と原告大賀外五名との間に、本件火災後も雇傭関係が存続することを認めて、本件合意解約を否定する根拠とはならない。被告の主張は採用することができない。

四  以上の次第で、原告会社と原告大賀外五名との雇傭関係は本件合意解約により、昭和三一年七月三〇日限り終了したのであるから、原告大賀外五名は、詐欺によつて、本件失業保険金受給に必要な所定手続を経て、その支給を受けたものでなくまた、原告会社は、虚偽の資格喪失届及び離職証明書を提出したものではなかつたいわなければならない。従つて、原告大賀外五名及び原告会社に対し、連帯して本件失業保険金の返還を命じた本件処分及びこれに対する審査請求を棄却した東京都失業保険審査官の決定を維持した本件裁決は、違法であるから取消を免れない。

よつて、原告らの本訴請求は、いずれも理由があるから、正当として、これを認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官吉田豊 裁判官西岡悌次 松野嘉貞)

別表

失業保険金

受給者

給付日数

金額

原告大賀秀夫

昭和三一年八月一五日から

昭和三二年二月一〇日までの一八〇日分

六三、五七〇円

原告三宅康之

昭和三一年八月一四日から

同年一二月一〇日までの一一九日分

二六、〇〇〇円

原告石井至

昭和三二年二月四日から

同年五月二六日までの一〇五日

二四、六七五円

原告塩田マサ

昭和三一年八月一七日から

昭和三二年二月一二日までの一八〇日分

二六、一四〇円

原告粕谷タキ

昭和三一年八月一七日から

同年一一月二九日までの一〇六日分

一五、八六〇円

原告粕谷静司

昭和三一年八月一七日から

同年一〇月一日までの四九日分

六、一二五円

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